頑張れと言ったからといって頑張れる人はいない
今回は日本でもっともよく使われる言葉のひとつ、
「がんばれ」
についてです。
この調査では、「がんばれ」という言葉に有効性がないということが示されています。
また私が関わっている中学生はちょうど思春期にあたり、『反抗期』真っ只中という子も数多くいます。
そんな子どもに対してはむしろ教師や親からの「がんばれ」はマイナスに作用することもあります。
実際に今一生懸命に頑張っている人に「がんばれ!」というのは言葉の選択が間違えているのは間違いないし、頑張っていない人に「がんばれ」というのは効果が薄いというのは、経験上皆わかります。
それではなぜ、「がんばれ」が多用されるのか。
それは「がんばれ」が非常に言いやすい言葉だからだと思います。
相手を応援したいときはもちろんですが、言葉に困ったときなど「がんばれ」の幅はどの言葉より広いと言っても過言ではないかもしれません。
言い手の都合でどんな場面でも使われ、聞き手の都合で多様な捉え方をされる。
「がんばれ」とは便利なようで意外とそうでもないのかもしれません。
と、ここまでが、元のコラムに沿った考えです。
ここからはあえて少し違った立場から見た「がんばれ」の有用性について考えてみます。
前述のように、ほとんどの場面で「がんばれ」は効果がありません。
しかし、そんな「がんばれ」が絶大な効果を出す場面。
それは互いの信頼関係がしっかりと築けている場合です。
みなさんにも経験があるのではないでしょうか。
心から信頼した人に自分が信頼されて言われた「がんばれ」にとても大きな自信をもらったことが、
そういった関係が築けているとき「がんばれ」には言い手の10の想いがつまり、聞き手は10受け取ることができます。
「がんばれ」を多用しすぎて、薄っぺらくなるのはいけません。
できるだけ具体的方策を出して、「どうすれば良いか」を相手がしっかりと理解できるようにする必要があります。
そういう言葉を使える一方で、自分の「がんばれ」を受け取ってもらえるような関係作りもできたらいいなと思います。